雲ひとつない抜けるような青空でした。
暑くなり、陽射しが強いです。
庭の南天の実がこぼれて、芽が出てどんどん大きく育ち、今では大きな木のようになり、二階まで届いています。
この一週間で、また、大きくなりました。
暑くなると、雑草もグングン伸びています。
ハルシオンの薄桃色の花が、可愛くまだ、咲いているので、草引きはせずにいます。
今、いろんな感情がむくむくと湧き出ているかもしれません。
この状況なので、当たり前かもしれません。
今までの全てが崩れ落ちてしまうような感じ。
我慢すれば、元に戻る感じではない。
長期化するし、完全に終息することもないような。
もちろんストレスも溜まってきます。
イライラの感情が、街では交差しているかなと思います。
えー!私、今、すごいイラついてる!!
と、そんな時は自覚してみてください。
少しおさまります。
これが、無自覚だと、心身にエネルギーがたまりよくありません。
そして、自我(エゴ)がむくむくと成長していきます。
また、先のことを、今は皆さん、どうしても考えてしまうと思うのです。
怖さ、不安だと思います。
生活、仕事、身体のことなど。
これらは、究極、お金のことなんです。
高齢の方や責任のある地位の方、そして個人経営の方、アルバイトやパートの方は、明日の心配があると思うのです。
今まで通りにはいかない。
ロンドンからはじまり、アメリカ中心となった資本主義の時代が少しずつ終わろうとしています。
それをなんとかしようと、管理社会が、様々な視点から起きています。
皆さんもなんとなく管理の息苦しさを感じられているのではないでしょうか。
本当の豊かさが問われる時がきたのではないでしょうか。
私は、豊かさで記憶にあるのは、祖父母の家でした。
小さな頃、二人は家でそれぞれ仕事をしていたこともありますが、
たくさんの人たちが頻繁に家にやってきました。
たくさんの近所の方との立ち話。
ラッパの音が響くと、ボールを持って豆腐を買いに行きました。
大きな包丁で水に浮かぶ豆腐を切ってくれるおじさんの手が魔術師のようでした。
お米を持っていくと、大きなポン!と、なってポン菓子が出来上がりました。
真っ暗になるまで、近所の子供達と遊んでいました。お腹が減ると、どこかの家のお母さんがおやつのおにぎりを作ってくれました。
こけてひざ頭から血が出ると、泣きそうになると、最年長の仲間が、血止め草で出血を止めてくれました。
大人に言いにいかずに、子供だけでいろんなことを解決していました。
義務ではなく、大人も共に楽しんだ地蔵盆。
親戚もひんぱんに集まりました。
近くの神社、氏神さんのお祭りには、さば寿司が振る舞われました。
御神輿や夜店もありました。
空き地もたくさんあり、雑草もたくさんはえていて、それを摘んで、おままごとをしたこともあります。
自由な空間があちこちにありました。
土地だけでなく、大人にも、子供にも、家にも、学校にも。
その空間に、人は余裕を感じていたはずです。
きれいすぎず、整然としていなくて。
きれいな植木鉢の花もあり、雑草もあり。
自然に咲いたたんぽぽもあり。
野良犬も野良猫もたくさんいました。
雀は、もっと団体でいました。
いろんなものと区分けがはっきりしていず、曖昧で、それが、心の豊かさにつながっていたのです。
街にある自然、植木、雑草、太陽、お月様、星たち、雲、雨、小動物、虫たち(庭にセミ、蜂、カミキリムシ、黄金虫、てんとう虫など普通にたくさんいました)、金魚。
鳥たち。お店の人たち、銭湯にいく人たち、買い物に行く主婦。夕涼みをするおじいさんやおばあさん。サラリーマンの人たち。宮司さんやお坊さん。
人たけでなく、たくさんのものが網目のように交錯していました。
もうひとつの豊かさです。
マザーテレサは、来日された時、荷物はパスポート以外に、聖書ともうひとつの着替えだけだったそうです。
貯蓄もほぼゼロ。
でも、世界中にマザーテレサが作った支援の団体はあり、活動しています。
彼女がいない今もそれは、継続されています。
豊かさの循環です。
様々な人たちの支援が循環しています。
そのため、貯蓄はありません。
戦争が起きた時、支援する人たちが、軍の銃を持ち構えたたくさんの兵士の向こう側にいました。
銃はマザーテレサに全て向けられました。
マザーテレサは、支援する人たちのそばに向かうべく、どんどん歩いていきました。
兵士たちは、その気迫にマザーテレサを打つことはできなかったそうです。
マザーテレサは、兵士を見ずに、支援する人たちだけを見ていました。
今、豊かさとは何か問われる時が来たのではないでしょうか。