晴れやかで気持ちの良い朝です。
雲が青空の中、長く伸びています。
ほとんど在宅で、買い物ぐらいで外出するぐらいでした。
やりたいことはたくさんあり、日々、充実している時です。
この状況の中、長期間、別荘に行かれている方もおられるようです。
森林の中で過ごしていると、フィトンチッドという化学物質を樹木などが発散します。
木から出る殺菌性と香りの成分です。この成分は、人をリラックスさせる効果もあります。
アロマオイルにも含まれています。
微生物をなくす効果もあります。
風邪やインフルエンザがはやる頃、アロマをたくのと同じ効果です。
私は、京都に生まれ京都で育ち、ほとんど京都で過ごしてきました。
少し東京や静岡で過ごしたこともあります。
京都は、緑も多く、山や川、公園、きれいな庭のある神社仏閣もたくさんあります。
スーパー、デパート、たくさんの公共施設もあり、
電動自転車や原付バイクがあれば、ほとんどの所には行ける便利な所です。
都会田舎でしょうか。
静かなのに、便利。
静岡の伊豆のプール付きのプチホテルで、住み込みで働いていた時があります。
その周辺には、別荘地とはいえ、まだ駅前にはスーパーもあり様々なお店もありました。
そのホテルの周囲は、大きな木々や山しか見えず、ほとんど樹々だけした。
オフシーズンは、オーナーのご夫婦と私だけでした。
時折、仕事で数日、東京に行かれるときがありました。
その時は、その広い広いホテルでたった一人でした。
当時は、携帯もパソコンのメール機能もありません。
電話は、ホテルのもので長電話はできず、どこに電話したかもすぐわかったので、友人に電話することもできませんでした。
ホテルやフロアの掃除、ベットメイクなど済むと、あとは電話番です。
長い時間の外出は、予約の電話が入るかもしれないので、できませんでした。
もちろん、テレビもありません。
少し散歩に出ると、ほとんど人に出会うことはなく、草花や樹々だけです。
風、空、土、草花、虫、鳥、樹々の気配があるぐらいです。
夜になると、風で樹々が揺れる音ぐらいです。
誰もいません。
外は、真っ暗で樹々が揺れるだけです。
当時は、今のように、本や様々な資料で研究や探究することもなかったので、
何をしていいのか困りました。
怖いし、とにかく孤独です。
自分と周りの木々や草花や小動物しかいません。
ある日、プールで音がしました。
見にいくと、鳩ほどの大きさの名前の知らない鳥が水に落ちてばたついていました。
逃げる鳥を何とかホウキなどで取り、そっと日陰におきました。
かなり弱っていました。私を怖がりバタバタしたので余計に弱ってはと、日陰の草の上にタオルをひき、そっと起きました。
獣医さんに連絡することもできず、例え連絡がついたとして、車もなく何もすることもできませんでした。
翌日、見に行くと、目を閉じて動かなくなっていました。
そして、そっと裏の木の下の土に埋めました。
ひとりでいた日にちは、そんなに長くありませんでしたが、
自然の中で過ごすことって、こんなことだなと、
実感しました。
私は、都会田舎の便利な京都で過ごし、自然の中で過ごすことの意味を
全くわかっていませんでした。
自然は、厳しい。
美しいだけではない。
癒されるものだけではない。
それを実感しました。
自然と過ごすには、
自分と対自し、目の前の自然と対自すること。
そして、その周りの人達と、共に協力して過ごすこと。
自給自足は、決してひとりでは果たすことはできない。
そう思っています。
私たちの中に、表面意識と無意識があるように、
自然の中にも陰陽があり、美しいものもあれば恐ろしい面もあり、私たちが知らない未開の地や深海にはたくさんの細菌やウイルスも存在しています。
その全体を自分の光と影を通して、身体を通して、感じて受容していくこと。
自然はとても受容できるものではない。
でも、今、目の前にある目の前に映るものと対自していくことが、地球という存在で自然ではないでしょうか。