久しぶりに御所の中を自転車で走りました。
緑でいっぱいです。
公園は、学校などが始まり、1組の小さな女の子とお母さんだけでした。
カフェの外の椅子には、樹々を見ながら、ゆったりと過ごす方達がたくさんおられました。
保育園の子供たちは、地面に落ちた葉っぱを上に投げて遊んでいました。
鳥たちの声が高い木の上から聴こえてきました。
シロツメグサ、カタバミ、キツネのボタン、ハルシオンの花がたくさん咲いていました。
梅林では、たくさんの青梅がなっていました。
滅多にテレビを観ることはありませんが、昨晩は偶然、大河ドラマを少し観ました。
明智光秀、少年期の徳川家康が登場していました。
桶狭間の戦いの前ぐらいの時期でした。
戦国時代ですね。
闘いが繰り広げられていました。
最近は、本を読んだりネット検索で、古代や様々な文明や時代のことを探っています。
そこに大きな流れが見られます。
共通してあることは、形は違えど、侵略と権力争いです。
そして、文明の衰退や終息と共に、新しい変化が現れることです。
今も毎日、新聞やニュースを見ていると、
どこかで形は違えど、様々な争いが起きています。
小さな時から、家族間の争いを見てきていて、
争いがなくならないかなと、願っていました。
そうは言っても、私自身、自分との葛藤はあるし、
もちろん家族と言い争うこともあります。
買い物にいき、店の方に訳のわからない対応をされて、怒ったこともあります。
どうしたものかなあ・・・
と、いつも模索しています。
やはり、どこかで自分が正しく、自分をいちばんに守りたいと、思っているからでしょう。
全てを捨てて、空海の少年期の真魚の時、真っ逆さまに飛び降りるぐらいの勇気と捨身の覚悟がいるのです。
今まで出会った方でこの方は!!!と、思った方達、全てに共通することがあります。
今までの全てを捨て去り、自分の道に生きる覚悟をされて行動されていることです。
生活に困窮され、日々の食べるものも困る状態にまでなっておられる方が多いです。
私は、そこまでできるのかわかりませんが、
今、何か大きなものに導かれるままに生きています。
不思議なのですが、セッションの時は全てがなくなり、何か大きな大きなものが動きだし、
ゼロになります。
あのゼロの状態が、闘いのない世界だと確信しています。