暑くなってきました。空は抜けるような青空。
日中は、30度を越えたようです。
庭では、南天の花が満開で、蜂がやってきます。
落ちた花弁を雀が拾いにやってきます。
縄文時代は、木の柱と炉端の火を大切に、自然と共に生活していたことが発掘でわかるそうです。
動物や植物も埋めた跡があります。人も動物も植物も同じように大切にしていた跡です。
昔の日本家屋には、その名残で、大黒柱や囲炉裏、かまどがあります。
家は、霊の宿る子宮とも。
古事記には、創造神、自然神(山、水、土など)が最初の神として書かれています。
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神。
の三柱の神の記録があります。
天河大辨財天社の御祭神には、神代天之御中主神より百柱の神とあります。
自然神は、柱とついています。
柱は、私たち、ひとりひとりの中心軸であり、父なる天、母なる大地とつながるものです。
私たち、ひとりひとりの中に、柱があります。
そして、家の中心には、生命の源である火、つまり、霊(ひ)があり、柱(大黒柱)があります。
家全体は、私たちの生命が宿る子宮。
ひとりひとりに、天と地をつなぐ中心軸の柱があり、霊性(魂)があります。
そして、家の中心には、柱と火があります(大黒柱と囲炉裏)。
日本家屋には、様々な空間があります。
縁側、土間、鴨居の上の欄間、中庭、違い棚、床の間。
大黒柱とそれぞれの部屋をつなぐ敷居。
大黒柱を中心に、様々な空間があり、そのまに人は、ゆったりとした余裕を感じ、その空間と過ごす様々な作法や四季折々の行事がありました。
私たち、ひとりひとりに霊性があり、その住む家にも神聖なる空間がありました。
そして、縄文時代の集落は、円を描くように建てられていました。
全てが和でした。
京都には、夏に祇園祭が長い期間あります。
いつもなら、様々な鉾のお囃子が鉾町の様々なところから聴こえてきます。
7月17日には、山鉾が京都の町を巡行します。
山鉾は、まるで動く柱のようです。
それぞれの鉾町の装飾品や神が山鉾に乗り、動きます。
山鉾は、天と地をつなぐ柱のようです。
京都の町には歴史があり、町衆の集合体の力はとても大きなものでした。
祇園祭も町衆の力で初まりました。
織田信長が京都の町の碁盤の目の通りを作り始め、ほぼ、豊臣秀吉の時には完成されていました。
今も、京都の町の通りは、碁盤の目です。通りの歌もあります。
その通りにそい、区画があったのですが、井戸を中心にして四つの町がありました。
その井戸を四つの町が共同で使用していました。
その井戸端会議で、町の情報が京都中に伝わり、京都全体の町衆の結束力が強かったのです。
井戸は生命の源である水を産むところです。そして、井戸は地ともつながっています。
その井戸を中心に円を描くように、京都全体の町衆がつながり、家もつながっていたのです。
ひとりひとりの柱(中心軸)と霊性(魂)
家の柱と火。そこには霊性の宿る家という子宮。
町全体が円を描くようにつながる。町全体が一つの大きな円、輪、和合です。
人、家、町に中心という柱があり、霊性があり、円を描き、和となす。
それが、この国で、私たちの歴史と続いている霊性ではないでしょうか。
対立、闘いではなく、私たちの深い底、源には、和合の歴史が刻まれているのではないでしょうか。